高野瀬・蔵六庵(観音)

00/08/14

 先ごろ掲載した『嶋屋日記』連載第六回の中に次のような一文がありました。「元文4年(1739) この年、高野瀬観音堂が建つ。当町の加藤寂水が建立する。」
 この時代、1732年には大飢饉で、肥後藩だけで6125人の餓死者が出るとあり、『嶋屋日記』にも「餓死者多数」翌1733年にも「蕎麦の花、粟ぬかまでも売買する。」とあります。寂水が観音堂を建立(復興?)したのはそんな時代です。
 『嶋屋日記』に高野瀬観音堂と書いてあるのは高野瀬の横道から玉祥寺の橋に下る坂の取っつきにある「蔵六庵」の事です。


全景

全景  蔵六庵の全景です。正面の道を進むと姫女渕の上を通って、菊池高校の裏の通り(北小路)へ続きます。手前の坂を下ると玉祥寺の橋へでます。

境内に案内板があり、次のように書かれていました。

蔵六庵(観音堂)

「 この観音堂は曹洞宗禅宗に属し十一面観音菩薩を本尊とする。主管は高野瀬区で座祭り営繕関係・清掃関係一切を担当している。開基については次の三通りの説がある。
(1)天正十六年(一五八八)建立する説(十一面観音の位牌あり)
(2)延享十二年乙丑(一七四五)徳永寂水の開基とする説
(3)明和元年甲申(一七六四)玉祥寺大清天?和尚の開基とする説。
その後玉祥寺の末寺となっていたと言われている。。今も安産祈願・その他の信仰を得て尊崇されている。菊池三十三観音の札所の中、打留の第三十三番札所である。

昭和六十一年十二月吉日建立
高野瀬区・同公民館
『高野瀬郷土史』編集委員会」00/05/29

正面

正面から  お堂を正面から見たところ。左の梅の木には大粒の梅がたわわに実っていました。

 『菊池風土記』には 「五・もろもろの神鎮座【観世音】」の項に「所在地:高野瀬村、例祭日:十一月十八日、蔵六庵という。加藤若水が再興した。」とあります。00/05/29

柱と白熱灯

柱と白熱灯  正面の柱には丁寧な彫刻が施されています。梵鐘、鈴もあります。丸い傘の白熱灯がノスタルジックです。00/05/29

漆喰の彫塑

漆喰の彫塑  屋根の漆喰にも蓮の花などの彫塑が施されています。こういうのを鏝絵というんでしょうか?00/05/29

石仏

石仏  二体の石仏が境内にありました。花が飾ってあり、今も信心が続いていることがわかります。 00/05/29


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