国道325線を熊本空港方面から菊池市内を抜け、左手に菊池電鉄バスターミナルなどを見ながらさらに直進すると、袈裟尾から稗方へと続く丘陵へと登って行きます。丘陵を登り切った付近に案内板があり、それにそって左に曲がると間もなく「鞠智城」に到着します。
鞠智城(現、鹿本郡菊鹿町と菊池市)は九州に築かれた古代山城のひとつです。
この鞠智城跡の整備を熊本県が平成6年からはじめました。内城地区からは、総数64棟の建物跡が検出されています。これらは米倉、武器庫、兵舎管理棟等と考えられています。平成9年には米倉と兵舎が、平成11年には南側の八角形建物が復原されました。
日本と百済の連合軍は天智天皇二年(663)に白村江(はくすきのえ)の戦いで唐と新羅の連合軍に敗北しました。このことで日本は唐と新羅からの侵攻の脅威にさらされる事態となりました。このために大和朝廷は翌年の天智三年から築城を開始して防御体制の整備に当たりました。これが『日本書紀』に記録が残る古代山城と呼ばれるものです。
九州において古代山城は大野城(福岡県)、基肄城(佐賀県)、金田城(長崎県・対馬)、鞠智城などがつくられました。『続日本紀』文武天皇二年(698)五月の条に「甲申、太宰府をして大野、基肄、鞠智の三城を繕い治めしむ」とあります。鞠智城は太宰府管轄下にあった六城のひとつで、大野、基肄城の兵たん基地として有事に備えた城だと考えられています。
平成11年10月16日に八角形建物が完成し、落成式がありました。この建物は、上に太鼓を置き、連絡や時間を知らせたものです。同様のものが、二聖城跡(韓国・京畿道河南市)にあります。1999/10/16
八角形建物(鼓楼)扉と内部の柱です。中は柱と階段で、生活できる様な空間はありません。そのような意味でこれはまさに塔です。真ん中の柱の周りに三重に八角形に配された柱が、それぞれ内から三層、二層、一層の屋根を支えています。1999/10/16