菊池市の代表的な伝統芸能「菊池の松囃子(御松囃子御能とも称します)」は、平成十年に熊本県内で二つ目の国指定重要無形民俗文化財に指定されました。ここでは「菊池の松囃子」ご紹介と観覧のご案内をいたします。
松囃子というのは、中世、特に室町時代に盛んに行われた正月の芸能です。声聞師1や散所2などの専業的な芸人のほかに、村民・町人、諸家の青侍3等が着飾ったり、仮装したりして幕府・諸邸に参上し、囃子や舞の祝福芸を催し、祝いごとを述べて禄物などを頂戴したとされています。その形態をもっとも古いままに伝えているのが菊池の松囃子です菊池の松囃子は、南北朝時代、菊池十五代武光公が後醍醐天皇の皇子・懐良親王を征西大将軍としてお迎えして、年頭の祝儀として正月に催したのがはじまりとされ、現在は菊池神社の秋の大祭に組み込まれ、十月十三日に行われています。
懐良親王お手植えとも、杖を差し立てられたものが根づいたとも伝えられる「将軍木」と呼ばれる大椋を親王にみたて、その前の御能場で奉納されます。
最初に「勢利婦」と称されるものを行います。天下泰平・国土安穏と五穀豊穣を祈寿したもので、この部分を狭義には「松囃子」といいます。その後「老松」以下能と狂言を演じます。最初の松囃子の部分と後の能狂言の部分の全体を「御松囃子御能」と称しています。六百五十年絶えることなく継承され現在にいたっています。昔は御神覧に供する以外は一切興行を禁止されていました。
菊池の松囃子の素朴な形式が能楽以前、すなわち、猿楽が神事能に移行した当時の形態を保っているとして平成十年に国指定重要無形民俗文化財に指定されています。熊本県では「阿蘇の農耕祭事」に次いで二件目の指定です。
(注1)しょうもんし【唱門師・唱聞師】 (「しょうもんじ」とも)
1 元日の朝、寅の刻(午前四時頃)に、宮中の日華門に参って、毘沙門経の文句を訓読して祝儀をしたもの。
2 人家の門に立って金鼓を打ち、簓(ささら)をすって経文を唱え、物請いをした僧。声聞師。(注2)さんじょ【散所】
2 古代末・中世における貴族や社寺の所領の一種。また、その住民。住民は年貢を免除されるかわりに、領主に対して雑役をつとめた。浮浪生活者の集団的定住に由来するものが多く、住民の所役はその居所の所在によって、領主身辺の雑役、交通運輸の業務、狩猟漁労などがあった。生活は隷従的で、悲惨であった。商人、芸能者を多く生んでいる。
3 中世末から江戸時代にかけて、卜占や雑芸などを業とした下層民。(注3)あおさぶらい(あをさぶらひ)【青侍】
1(青い袍(ほう)を着たところから)公家に仕える六位の侍。 2 身分の低い若侍。
国語大辞典(新装版)c小学館 1988.
2.松囃子観覧ご案内
菊池の松囃子は、毎年10月13日の1時頃から御能場で奉納されます。
御能場は熊本県立菊池高等学校正門の道路を隔てた向かい側です。駐車場がありませんので、車で来られる方は、市民広場、グランド周辺の駐車場に車を置いてください。
12時半頃から菊池神社の神事が始まり、1時頃から松囃子、老松、その後に狂言や仕舞などが順次奉納されます。大体3時から4時に終了します。その日の番組表や、狂言のあらすじの印刷物が現地で配布されます。樹齢650年の大椋(将軍木)からこぼれる、秋の柔らかいひざしのもとで、ゆっくりとした時の流れを(神様と)一緒に、感じませんか。
*御松囃子御能は正面の御神木に向けて演じられていますので。舞台の正面は立入禁止です。中正面と脇正面に椅子やシートが用意されています。