松囃子を伝える人々

2000/04/07更新

 平成八年に能場建立二百年記念の「能と狂言の会」を開催したときに、公演の宣伝のために『広報きくち』に書いた文章です。
「御松囃子・能場・そして私−二百年の流れの中で−」というシリーズで三回にわたって掲載されました。
御松囃子御能保存会員の松囃子に対する思いが書かれています。



松囃子能と共に五十年

御松囃子御能保存会 会長 西岡史郎
○「松囃子能」との出会い

 戦後間もない昭和二十年の末、長姉のすすめもあって、隣家の菊本清吉君(元観世流清楓会会長)と二人で中町の原田敬吾氏に謡曲と仕舞の指導を仰ぎ、先生の勧めもあって「松囃子能」囃子方として出演。今年で五十年を迎えることができた。奇遇なことに、今年は将軍木前能場の建立二百年目の年である。  薄暗い階段を上り、天井の低い昔作りの部屋で謡の「熊野」(ゆや)を習ったのを記憶している。その後、原田純蔵氏、高田充雄氏、田上敏男氏、田嶌實氏等、歴代の会長につかえ、その後自分が保存会の世話をするなど夢にも思わなかった。  当時、食糧事情もままならず、神社秋祭り奉納「松囃子能」(十月十三日)の打ち上げが上町森本食堂であっていたが、その時の三段弁当のおいしかったことなどまぶたに浮かんでくるのである。

○支えてくれた人々

 昭和四十八年「御松囃子御能」が民俗芸能として国選択無形文化財として認定された。(注−平成十年には熊本県で二番目の国指定重要無形民俗文化財に指定されました)これは民俗芸能研究家吉川周平先生(現徳島文理大教授)の並々ならぬ努力があったればこそである。  国立劇場での「松囃子と万歳の会」への出演、第九回国民文化祭「三重'94 −能楽の源流を求めて−」の三重伊勢市への出演等々、華やかな舞台への出演は数え切れない。特に、国立劇場出演の折り、見学中の森康尚先生(元千葉大学教授)との出会いを忘れてはいけない。演劇がご専門の先生は当時能狂言を研究中で、熊本菊池に若い人達の狂言が続いていることに興味をもたれ、数回菊池を訪れ調査された。そんな中で菊池の狂言が名古屋の和泉流狂言の名門「野村又三郎家」の流れを汲むものであることがわかり、先生の紹介で十二世野村又三郎先生とお会いすることができた。この時から菊池の狂言は先生のご指導を仰ぐことになった。現在、若者を中心とした「狂言みのる会」が県下で活躍中であるが、これも野村先生のご指導、ご協力のたまものである。

○能場建立二百年祭

 さて、私達「御松囃子御能保存会」は、きたる十月十三日(日曜日)午後、菊池市文化会館において能場建立二百年祭として「能と狂言の会」を盛大に催すべく努力中である。熊本の第一線でご活躍中の能楽師の諸先生方を招いて、実に六十年ぶりに菊池の地に能楽の音が響く。また狂言として、当代の和泉流狂言の名人第十二世野村又三郎師父子をお迎えする予定である。この会が盛会のうちに終わることを祈りながら「五十年の思い出」の筆を置きたい。



 

時を超えて

御松囃子御能保存会 N.H

 平成三年十月十三日、狂言「しびり」で初めて松囃子能場に立った。シテ(主役)の有作君に助けられながら何とか主人の役をやり終えたとき、緊張や不安や興奮でほてっていた体に吹きぬけた秋風のなんと心地よかったことだろう。暖かい幸福感が体の隅々に拡がっていった。

 その日の朝、僕らは能場回りの清掃、舞台磨き、客席やテントの設営のために集まっていた。作業が一段落したあと、初舞台を前にして落ちつかない僕は、独りで舞台に続く廊下(橋懸かり)を渡って三間四方の舞台の中央に正座した。顔を上げて目に入ってきたものは、眼前にどっかりと鎮座した老大木であった。その幹は捻れ、節くれだっていたが、木漏れ日をうけて輝いていた。そして、その中心は寸分違わず舞台中央の真正面にあるのだった。「松囃子能場はこの一本の木のために建てられている。」「自分がこれからやる舞台はこの木の魂に向けて行われるものだ。」と感じたとき僕の心は落ちついた。

 菊池の「御松囃子御能」は足利義教の時代に流行した正月の祝賀芸能「松囃子」が、日本で唯一当時の形を今にとどめている貴重な文化財だが、二百年前にこの老木を神と見立てて能場を建立した町衆の心意気とは一体どのようなものだったのだろうか。隈府の商人が残した江戸時代の日記『嶋屋日記』には、「寛政八年(1796)六月、上町能舞臺建、別當不怪大世話之事、漸々七月十三日・四日迄ニ成就ニ相成候事。」とあるだけだが、現代の経済的効果とか話題作りといったものとは別な、精神的に純粋な願いや祈りがこの能場建立には込められている。誠に、今年、松囃子能場建立200年祭をする意味もこれら善き先人達を思い起こす事にある。

 さて、御松囃子御能保存会の構成員の年齢の幅は広く、上は既に九十才の坂を越えられた西岡一人先輩から、まだ会員ではないけれども既に狂言の手習いをはじめている八・九才のジュニア達までといった具合だ。五十才に手が届こうという僕らも、有り難いことに若者などと呼ばれたりする。七十代の先輩に飲み屋に誘われ一緒に大騒ぎをすることもある。

 この様な環境の中にいると時間は相対化され、江戸時代の番組表に出ている十吉さんや伊兵衛さんや栄吉さんらが断然他人とは思えなくなる。そして、過去から未来に続く長い時間の中を、たまたま現在、僕たちがバトンを持って走っているのだ、という実感を得ることができる。過去から未来に連なる一帯感。これが伝統芸能をやる醍醐味のひとつだと感じる。

 二百年前、まだ木の香の残る真新しい舞台の上では晴れ晴れしい顔をした役者達が舞い、多くの観客がそれを楽しんでいたことだろう。彼らはどんな顔をしてどんな姿恰好だったのか。

 今年十月十三日、能場建立二百年を祝って「能と狂言の会」が催される。そこに集まるたくさんの顔を、時を超えて、老大木は眺めている。




能場建立二百年記念「能と狂言の会」実施記録

                    10月13日(日)2時開場←平成八年です。ご注意!!
                   菊池市文化会館大ホール

                     大 人  2000円
                      大学生以下 1000円

                    御松囃子御能
                   金春流 舞囃子 高砂
                   和泉流狂言   末広
                   観世流 仕舞  花筐
                  和泉流狂言   靱猿
                  喜多流 能   土蜘蛛



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