百科事典の中の菊池市

00/03/20

 1972年発行の百科事典(世界大百科事典−平凡社)と1997年発行の百科事典(Microsoft Encarta 97 Encyclopedia.)の中に記載された「菊池市」の項目を比較しながら、菊池市の四半世紀の変化と現状を紹介します。


1972年発行の百科事典の中の菊池市
 熊本県北部の市。1956年隈府町(わいふ)と菊池、戸崎、花房、河原(かわはる)、水源、迫間(はざま)、龍門の7村が合体、菊池町となり、1958年市制。人口29,541(1970調)。阿蘇外輪山の北西ろくから山鹿盆地の東部にまたがり、菊池、迫間の両河が市の東西を貫流し、東部の水源は林業地、盆地は<菊池米>で知られた米どころ、南部の台地には養蚕を主とする畑作が展開され、畜産も盛んである。市街は菊池市の古い館町(やかたまち)で史跡に富み、酒造、紡績、製材が行われ、温泉があり、新しい観光地として活気をおびてきた。
(1972年発行 世界大百科事典 平凡社)
1997年発行の百科事典の中の菊池市
 熊本県北部、菊池川上流の谷口にある都市。東部は阿蘇山外輪につづく。1958年(昭和33)市制施行。面積は182.60km2。人口は2万7987人(1995年国勢調査速報)。 特産の菊池米で知られ、養蚕、畜産、シイタケ栽培の盛んな農業地域だったが、1954年に菊池温泉が開発されてから観光都市化した。製糸・製材・酒造などの地場産業もあるが、近年、中心は輸送と電気関係の工業に移行している。
 11世紀後半、豪族の菊池氏の本拠地として発展し、戦国期までの約500年にわたって九州の政治・文化の一中心としてさかえた。菊池神社をはじめ菊池一族にかかわる史跡が多く、毎年11月には菊池一族ふるさと祭りがおこなわれる。菊池川源流近くの菊池渓谷は、原生林と野鳥の宝庫で、渓谷にそって遊歩道が整備されている。
(1997年発行 Microsoft Encarta 97 Encyclopedia.)

菊池平野 コメント

 私が小学校1年の時に菊池町になり、3年生の時に菊池市になりました。菊池町というのに慣れる間もなく菊池市になったのを記憶してます。そうか、1町7ヶ村の合併だったンだ。今でも校区対抗駅伝などでは、旧町村がそのままチームの単位になっています。

 1972年には「米どころ」と書いてあるが、1997年には「特産の菊池米で知られ、・・・農業地域だったが、」と過去形になっています。しかし、今でも菊池の米は美味です。というのは、何よりも水がイイからです。国の名水百選に選ばれた菊池渓谷に象徴されるように、地形的にいっても谷口にある菊池市は美しい水が豊かなところで、都会の水道水よりもはるかにうまい水がとうとうと水田に流れ込んでいます。菊池川の一つ下流の町、七城町でも米は名物で数年前に、業界紙の目隠し試食で、新潟コシヒカリや何やらをさておいて、日本一うまい米に選ばれました。しかし、菊池平野から外輪山に続く間の、いわゆる中山間地帯の米は、@そのまま飲めるほどきれいな水が水田を潤しているA昼夜の温度差が大きい、という二つの理由によって、「はるかにうまい」と、生産者の人は胸を張ります。現在、米の価格低下や減反政策などの理由で、専業農家が米だけで生活するのはほとんど不可能らしく、多くの人がイチゴ、メロン、ゴボウ、カスミ草などをつくっています。椎茸も山間地では盛んに作られています。

 1972年版に書いてある菊池市は小学生の頃の菊池市そのままです。桑畑が至る所にひらけ(当ホームページの表紙の古い写真を見られたし。正面に続く道路の右手は一面、菊池農蚕高校の桑畑です)、隈府の唯一の工場煙突は繭から絹糸をつくる紡績工場のそれでした。他県からも女工さんが働きに来ていました。至る所に製材所の鋸が大木を切り裂く音が響いており、荷台いっぱいに木材を積んだトラックが走り回っていました。昭和29年に温泉が湧き、あっという間に湯煙漂う山里の温泉観光都市になりました。現在では、農林業の生産高よりも商業・観光業の生産高が大きいそうです。

 その紡績工場は現在では同系列の電子部品工場に代わり、オートバイの部品工場が点在しています。1997年版の「近年、中心は輸送と電気関係の工業に移行している。」というのはそこらのことでしょうか。72年、97年版共に書かれている酒造は現在も健在で、唯一の蔵元「菊の城」は、良質の菊池の米と水とに加えて、伝統の手作りの生産法を堅持して、全国的な評価もますます高まりつつあります。中でも「大吟醸」は垂涎の的で、さらに「秘蔵酒」に至っては地元の人間でもめったにお目にかかれるものではありません。

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