県立菊池高校の裏通りは古くは「北小路」と呼ばれ、また鷹飼が住んでいたので「鷹飼小路」ともよばれ、守山城の内裏尾まで続いた通りです。この通りの西のはし、迫間川の崖の上に「親子地蔵」とよばれる三体の地蔵様があります。一つは大きく、残りの二つは小さい子どもの地蔵様です。
追記(2000/07/02)
菊池市高齢者大学編集の『菊池むかしばなし』によると、「この渕は、城山の菊池本城が戦いに敗れ、城が落ちたとき、菊池城のお姫さんが敵の武士(さむらい)に追われてこの崖の上まで逃げてきたが、敵に追いつかれて捕まりそうになったので、敵の武士に捕らえられて生き恥をかくより命を絶とうと覚悟を決め、侍女と一緒に、崖の上から、淵をめがけて身を投げた・・・ので、姫女渕と言うようになった、という伝説があります。」また、「菊というきりょうよしの娘が、庄屋の七左衛門に勺をしようとして放屁しそれを恥じて身を投げた」という話も載っています。
お姫様が放屁をして身を投げたという先の話は、これらがミックスされたもののようです。
99/09/18
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