高野瀬の親子地蔵−路傍の神仏B−

00/03/24

 県立菊池高校の裏通りは古くは「北小路」と呼ばれ、また鷹飼が住んでいたので「鷹飼小路」ともよばれ、守山城の内裏尾まで続いた通りです。この通りの西のはし、迫間川の崖の上に「親子地蔵」とよばれる三体の地蔵様があります。一つは大きく、残りの二つは小さい子どもの地蔵様です。  




親子地蔵2  赤い胸当ては正月に新しくなりました。だれかが縫って着せ替えたのです。丁寧な花の供え方などからも信心の深さが伝わってきます。
00/02/27
親子地蔵案内板  昭和61年に書かれた案内板には「いつの頃からか子供地蔵は行き先不明となっている」と書いてあります。二体の子供地蔵は、それ以降に再建されたのでしょう。それにしても、恐ろしくも哀れな言い伝えであります。 00/02/27
姫女渕  崖の上から覗いた姫女渕。夏草におおわれて見えませんが高い崖です。
 菊池氏のお姫様がうっかり人前で放屁をし、それを恥じてここに身投げをしたので「姫女渕」と名が付けられたという話を、昔聞いたことがあります。

追記(2000/07/02)
 菊池市高齢者大学編集の『菊池むかしばなし』によると、「この渕は、城山の菊池本城が戦いに敗れ、城が落ちたとき、菊池城のお姫さんが敵の武士(さむらい)に追われてこの崖の上まで逃げてきたが、敵に追いつかれて捕まりそうになったので、敵の武士に捕らえられて生き恥をかくより命を絶とうと覚悟を決め、侍女と一緒に、崖の上から、淵をめがけて身を投げた・・・ので、姫女渕と言うようになった、という伝説があります。」また、「菊というきりょうよしの娘が、庄屋の七左衛門に勺をしようとして放屁しそれを恥じて身を投げた」という話も載っています。
 お姫様が放屁をして身を投げたという先の話は、これらがミックスされたもののようです。
99/09/18


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