心の中にふるさとの川が流れている

万田2005
 菊池高校の先輩の信岡良彦さんより、万田の最近の様子をレポートしたメールを頂きました。飛び込み岩の呼び名など忘れていましたが、確かにそうであったことを思い出しました。ありがとうございます。
無理にお願いして、掲載させていただきました。2005/02/13


 はじめまして。いつも興味深く拝見しています。菊池生まれ育ちの信岡良彦と申します。

先日、「記憶の中の風景」を拝見していて、万田で夏を過ごした者として懐かしく思いました。

というのは、残念ながら現在は飛び込み岩が風化してしまいました。「まんじゅう岩」から「ち○ぽ岩」「め×じょ岩」「皿岩」「三人風呂」「屏風岩」「五人風呂」一番上流が「高岩」とそれぞれに名前が付いていましたね。

玉祥寺の堰も撤去され、万田の渕への流れ込みも右岸側(亀石のあった方向、現在はなくなっています)へと変わりました。

 昨日、見に行きましたところ、護岸工事をやっていて、昔と同じ左岸側へ流れていたので、作業員に聞きましたところ、工事が終わったらまた右岸側へ流れを戻すそうでした。

 上の写真は岩群の下手で、浅く、川底の石が見えています。中央左の穴は着替えをしていました。


 下の写真中央より左側は崩壊したのではないかと思います。上流の「高岩」まで歩いて行けたと記憶していますが。

 いずれにせよ、中町からの入渓路もヤブとなってしまいました。子供の頃、泳ぎを覚えたのもここ、ドンカッチョ釣りを覚えたのも万田から下ん川の間の流れでした。竜門ダム完成後の川の変化はアッ言う間でしたね。子供たちが川遊びをしようと思えばどこからでも安全に水際まで行けたものですが、今は両岸葦が生い茂り、ハエ釣りしようにも竿もまともに振れません。 

 3番目の写真は万田から下ん川方面。



 4番目の写真は、下ん川の崖の上に立つ家ですが、どなたか書き込みされていた菊の城の別荘だったかどうかわかりませんが、私が子供の頃からずっと松岡憲夫先生のお宅です。習字を習いに行っていました。

 下町の曲がり角から石段が通じており、写真の左へと下りてこられます。現在も石段はありますが、藪が生い茂っています。深かった渕もテトラポッドが埋めてしまいました。松岡先生が健在の頃は、石段の草取りや、川の中に入り、一人で石を積み上げ川の流れが崖に直角にこないようにされていました。写真中央の四角い穴からは冷たい水が今も流れ出していると思います。 

信岡さんのホームページ


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