立石の造り酒屋「ハツヌサ酒造?」の横を通って、しばらく畑の間を行った所が地区指定の水泳場所でした。
「下ん川」とは違うような気がしますが。小学校、中学校の夏休みは、毎日行った場所なのに、
どなたか判りませんか?階段状の飛び込み台があり、崖から飛び込んだり、崖から川に大きく伸びた木、
確か「猿の木」と呼んでいた所から飛び降りたりして毎日遊んだ場所です。こうして書いていると、
今でも子供たちの騒ぎ声や歓声や水しぶきの音が聞こえてくるようです。
(2002年6月5日 平井さんの投稿)
その後、袈裟尾橋の下流、神来の上流に位置する、かつて少年Hが通った指定遊泳場は「半田」と称されていたことが判明しました。立石地区の「羽手の木」バス停から(七城に向かって)右側に入行った場所です。左はM米屋さん、右の写真は、お地蔵さん。造り酒屋「初幣」があった場所です(今は住宅地)。この路地をつきあたると「半田」です。
これが平井さんの投稿にかかれている「猿の木」でしょうか。ひときは目立っています。四つんばいで、幹を斜めに上って飛び込むには格好の角度です。ちょうど田植の季節で、迫間川の水量は少なく、濁っています。羽手の木からの途中では、西覚寺の横の水田も田植の最中でした。2002/06/06
古い小さな堰です。これが、魚採りや川流れ(?)など、水遊びにいろいろなバリエーションをもたらしたことでしょう。今も堰の機能は生きているようで、水量を調節するハンドルの下の取水口からは水が取り入れられていました。2002/06/05
左の写真は、堰から下流を望んだところ。下流はここで北に曲がりすぐに西へ蛇行します。土手の上に見えている家々は七城町山崎地区だと思います(これは誤り。地形図で確認すると、山崎ではなく袈裟尾地区のようです。2005/02/24)。 右側の写真は羽手の木から半田へ続く路地。道に沿って井手が流れています。
平井さんが起こした「僕らの泳ぎ場所の名前は何だったのだろう?」スレ(2002年6月)
02/06/05(水) 09:55:06,平井
,立石の造り酒屋「ハツヌサ酒造?」の横を通って、しばらく畑の間を行った所が地区指定の水泳場所でした。「下ん川」とは違うような気がしますが。小学校、中学校の夏休みは、毎日行った場所なのに、どなたか判りませんか?階段状の飛び込み台があり、崖から飛び込んだり、崖から川に大きく伸びた木、確か「猿の木」と呼んでいた所から飛び降りたりして毎日遊んだ場所です。こうして書いていると、今でも子供たちの騒ぎ声や歓声や水しぶきの音が聞こえてくるようです。名前が思いだせないなんて残念です。
02/06/05(水) 23:48:55,の
>立石の造り酒屋「ハツヌサ酒造?」の横を通って、しばらく畑の間を行った所が地区指定の水泳場所でした。
ハツヌサは初幣、初荷の上に立てた御幣の意かと思います。ヤフーで初幣を検索したら、二十数年前(?)に酒造をやめたこの蔵元の輝かしい歴史を知りました。
http://www.umenishiki.com/jp/oishii/hitokoto014.html
や
http://www.kohosha.org/sakuhin/etc/sawa/pdf/medical.pdf
の7回の記事など読めば分かります。今も酒屋などに残された看板などを目にすることはあります。さて、水浴び場の件です。立石の羽手の木停留所から下った場所。袈裟尾の橋の下流に泳ぎ場があることは知っていましたが、名前は何だったかなぁ?
02/06/06(木) 09:44:00,平井
早速確認しました。ハツヌサ酒造にはそんな歴史があったんですね。MapFanで見ましたが跡地は公園になっているんですね。 「羽手の木」も本当に懐かしい地名です。実は今まで「櫨(ハゼ)の木」と思い込んでいました。友達とチャンバラ用のかたなをハゼの木で作って皆で体中かぶれた事がありました。隈中卓球部の一年先輩にハツヌサの息子さんがいました。立石の宮本米屋さんや、征Yくんか M.Kくんなら判ると思いますが。
02/06/09(日) 00:42:43,の
立石在住の人二人と、小学校時代を立石で過ごし、かの淵へ泳ぎに行っていた男一人に聞いてみました。
現在は「下ン川」と呼んでいるようです。
昔、隈府中心部の(失礼!)住人にとっては「下ン川」は「どじょう坂」を下った場所、「初幣」ならぬ「菊の城」の横の路地を下った場所のことででした。
坂を下りた川のことを一般的に「下ン川」というのかもしれません。
現立石区民にとってあそこは「下ン川」です。あそこやあそこの下流でバーベキューなどをするときの共通名称は「下ン川」らしいです。
もう一人の元立石区民は「羽手の木といってたかなー」とあやふやな答えでした。玉祥寺、万田、下ン川からすれば、ちょっと離れた場所で、特別に区別する必要が無いので、比較的固有の名称で呼ばれる必要性が無かったのかと考えます。ただ、記憶の底に「姫女淵」とともに、「下ン川」とは別の名をもった、なにやら聞き慣れないマイナーな水浴び場が袈裟尾の橋の下流にあったという淡い感触があります。
その場所へ行ってみました。君の言う「猿の木」は健在でした。
水浴び場シリーズ(6)として、写真をアップしてみます。(近日中にね・・・)
02/06/09(日) 16:32:11,美,,
>早速確認しました。ハツヌサ酒造にはそんな歴史があったんですね。MapFanで見ましたが跡地は公園になっているんですね。 「羽手の木」も本当に懐かしい地名です。立石の宮本米屋さんや、征Yくんか M.Kくんなら判ると思いますが。
秋祭りに子供神輿を担いで練り歩き、初幣のところでUターンしてました。初幣前の大きな木陰で一休みして、その時いただいたサイダーの味忘れられません。
02/06/11(火) 00:33:55,の
M.K君の記憶力に乾杯。
平井君ではなく(詳細は後日)その他の人々への報告。
立石区指定水浴び場の名前が判明。
半田(はんだ 又は はんた)
言われてみて、大脳皮質と大脳偏縁系の隙間に挟まっていた「半田」が転び出ました。