川上コレクション展B

2002/02/13

  「茶碗のかけらみたいなものを探し回ってなんになるかってよくひとから言われますがね。私はそうは思いませんよ。土中に埋まったカケラの一つ一つにもその当時の人たちの生活がにじみでていることを思えば自然と親しみも湧いてくるし、古代の人たちの肌に触れているような気持ちになるもんです。」(昭和29年ごろの新聞コラムより)
 この古代への想像力とロマンは、川上さんに「永遠なるもの」を実感させていたのではないだろうか?

(注:写真撮影については川上さんのご家族と、資料館のご了解をいただきました。写真と記事の無断転載を禁じます。)


管玉(くだたま)と勾玉(まがたま)

管玉 まが玉
 管玉(くだたま):弥生・古墳の装身具です。石をきれいに研きあげて、ひもに通して首飾りとして使いました。一番右の赤い石はメノウということがわかっています。右の写真→勾玉(まがたま):弥生・古墳時代の装身具です。石をきれいに研きあげて、ひもに通して首飾りとして使いました。(解説)02/02/10

文化財指定書と記念写真

指定書 肥後考古学会
 「川上コレクション」は昭和41年4月13日に菊池市指定有形文化財に指定されています。右写真:肥後考古学会の人々と記念撮影。昭和初期の頃と思われる。場所は菊池西部実業学校(のちの菊池西農業高校)か?最後列右端が川上氏(解説)。02/02/10

昭和29年ごろの新聞コラム・ご夫婦の写真

新聞コラム 川上夫妻写真
 昭和29年ごろの新聞コラム。

「変わってますかな。茶碗のかけらみたいなものを探し回ってなんになるかってよくひとから言われますがね。私はそうは思いませんよ。土中に埋まったカケラの一つ一つにもその当時の人たちの生活がにじみでていることを思えば自然と親しみも湧いてくるし、古代の人たちの肌に触れているような気持ちになるもんです」
 こういう川上勇輝さん(54)菊池郡隈府町=の本職はお菓子やさんだが、歴史の話し、わけても土器や石器の話になると別人のように目を輝かす熱心さ。そして40年、こつこつ集めた石器類は今では千点にもなりへ部屋いっぱいになった。川上さんには掛け替えのない生活の記録だろう。興味を持ったのは鹿本中学二年のとき。歴史の時間に古代人の生活様式を習ったときからだ。その後県文化財保護委員の坂本経堯さんらの指導を受け、郡内はもちろん遠く五家荘まで足をのばし石器時代の石槍、石鏃や縄文式、弥生式の土器を集め歩いた。珍しいものがあると聞けば百度参りをしてでもゆずりうけ、戦時中は大切な店の砂糖と交換してまで手に入れたこともあった。
 仕事がすんだあと土器を手にして資料を調べるときが一番楽しい時間だそうだ。川上さんはふつと考える。石弓を持った古代人がその日の糧をもとめて山野をかけ回ってゆく……この器はそのころにしては立派なものだ。土地の豪族が使用したものではないだろうか−−遠い人類の生活を頭に浮かべながらせつせと資料を書き綴ってゆく川上さんは町の考古学者である。(新聞コラム-昭和29年ごろ-)02/02/10


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